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記紀の世界では、まつろわぬ(時の権力に服しない)者たちは熊襲・隼人とか土蜘蛛と呼ばれる。
ところが、羽白熊鷲は熊襲でも土蜘蛛でもない。
(隼人は南九州かつ律令制の時代だからそもそも該当しない)
というのも、神功皇后は羽白熊鷲殺害の直前に、熊襲を討っている。
「吉備臣の祖、鴨別(かものわけ)を遣わして熊襲の国を討たされた。いくらも経たぬのに自然と服従した」
したがって羽白熊鷲は熊襲ではない。
また、羽白熊鷲を3月20日に殺すと、直後の25日に山門県に転じて土蜘蛛の田油津媛(たぶらつひめ)を殺した。
したがって羽白熊鷲は土蜘蛛でもない。
では一体、何者か。
熊襲や土蜘蛛という集団に属さない、鬼あるいは後世の天狗に比すべき一匹狼と考えるしかない。
配下がいたとしても少数だろう。
それでも鬼や天狗のような非常に厄介な存在であり、神功皇后としても看過できないほどの悪業(人さらいが中心か)をやっていたのだろう。
もとより天狗とは山伏姿でおなじみだから、仏教伝来前の4世紀前半には当てはまらない。
とはいえ天狗も必ずしも仏教の帰依者ではなかったようだ。
柳田国男は『山の人生』にこう書く。
「なるほど天狗という名だけは最初仏者などから教わったろうが奇怪(きっかい)はずっと以前から引続いてあったわけで、学者に言わせるとそんなはずはないという不思議が、どしどしと現れる。見本で物を買うような理窟には行かなかったのである。(略)そうして必ずしも兜巾篠懸(ときんすずかけ)の山伏姿でなく特に護法と称して名ある山寺などに従属するものでも、その仏教に対する信心は寺侍・寺百姓以上ではなかった。いわんや自由な森林の中にいるという者に至っては、僧徒らしい気分などは微塵もなく、ただ非凡なる怪力と強烈なる感情、極端に清浄を愛して叨(みだ)りに俗衆の近づくのを憎み、ことに隠形自在にして恩讐ともに常人の意表に出でた故に、畏れ崇められていたので、この点はむしろ日本固有の山野の神に近かった」
そうなると、筑紫の語源となった「人の命尽くしの神」を思い出す(昨年5/11付参照)。
筑後国風土記による筑紫神社の由緒(写真)を見てほしい。
「筑前と筑後の境となる山に荒ぶる神がいて、峠を往きかう人を多く取り殺していた」というのは、場所も行状も羽白熊鷲にぴったり当てはまる。
私としては、羽白熊鷲が筑紫の神となって祀られたと考えたいところだが、どうだろうか?
羽白熊鷲が殺された層増岐野(そそきの)という場所がどこなのか、残念ながら分かっていない。
しかしこれほどの人物が祀られた神社が朝倉周辺にはないようなのだ。
筑紫神社は筑紫野市の南端なので、朝倉とそうは離れていない。
由緒には筑紫の神が誰なのか分かっていないとある。
私は羽白熊鷲説を唱えたいと思う。
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