2021-08-19
額田王
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
(熟田津から船出をしようと月の出を待っていると、待ち望んでいたとおり、月も出、潮の流れもちょうどよい具合になった。さあ、今こそ漕ぎ出そうぞ。)
〜伊藤博『萬葉集釈注1』(集英社文庫)
学校でも教えるこの歌だが、詳しい歴史的背景を聞いた覚えはない。単に船出の歌だと思っていた。
実は百済が新羅・唐の連合軍に攻められ、日本に援軍を求めてきたのである。
わが国はただちに要請に応じ、女帝の斉明天皇自ら、661年正月6日、難波津を出航し、筑紫に向かった。船には中大兄皇子や大海人皇子も同乗していた。
途中、伊予の熟田津(にきたつ、愛媛県道後温泉あたり)で、68歳の女帝は約70日間疲れをいやす。
そして再び出帆するときの歌である。
船は3月25日、現在の博多港に到着し、その後、斉明天皇は「筑紫の朝倉の宮」に移る。しかし、7月24日、天皇は朝倉宮で崩御する。まさに朝鮮のためにご老体を犠牲になさったわけだ。昔から日本に頼って迷惑ばかりかける国だ。学校でもそうしたことをきちんと教えなければいけない。
ところで、この朝倉宮は正式には「朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)」と言って、福岡県朝倉市須川にその跡と記した碑が建っているが、これは確定しているわけではない。
実際、現地はいかにも遠すぎて不自然だ。
だから、小郡市上岩田遺跡説や大宰府政庁説が出ているのは当然だろう。
地元としては小郡説に期待している。
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