「城山崩壊」の舞台を訪ねてD
2017-11-09


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「城山崩壊」の記者たちが働く新聞社は、鹿児島市山下町にある。

私がかつて働いた南日本新聞社は鹿児島市易居町にあったが、モデルにするにあたって易居(やすい)町は読みにくいので、隣の山下町にした。
山下町の由来は「城山の下」ということだから、タイトルにも連動する。

南日本新聞社は与次郎ヶ浜に移転してしまったが、私にとっての新聞社はやはり易居町の新聞社である。

南日本新聞はとても歴史のある新聞社で、西南戦争に従軍した野村忍助(おしすけ)が中心になって創刊した。

野村は熊本城の立ちはだかる陸路を取ることに一人敢然と反対した。案は容れられなかったが、豊後方面総司令として奇兵隊21個中隊2500人を指揮した。本隊が敗れたあと3カ月持ちこたえて敗走を助けた。
官軍の城山総攻撃時には重体で動けず捕虜になった。東京の市ヶ谷監獄に入っていたが、特赦によって郷里に戻り、明治14年(1881)末、鹿児島で初めての新聞、鹿児島新聞を創刊した。

その後いくたびか変遷するが、新聞社はずっと山下町、易居町界隈で事業を続けてきた。

そんな創業の地を捨て、縁もゆかりも歴史も長所もない与次郎ヶ浜に2001年、新聞社は移転してしまったのである。

無念でならない。
旧社屋は鹿児島市が買い取り、「ソーホーかごしま」として使っている。
私には新聞社の抜け殻、廃墟にしか感じない。

できれば「ソーホーかごしま」に事務所を借りて、南日本新聞の帰還の日を期したいと真剣に思ったほどである。

誰も望まなかった不可思議な移転については、新聞記者シリーズ第3弾で書きたいと思っている(第2弾はもうできている)。
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