「城山崩壊」の舞台を訪ねてC
2017-11-09


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災害から5日後の7月15日付から、連載「7・10の悲劇 繰り返すシラス災害」を始めた。

上中下の3回で、私は中を担当、上下は先輩記者が書いた。

災害の原因は複合的だろうが、上では城山観光ホテルの問題をかなり厳しく書いている。

鹿児島大学教授(地学)は「城山のガケ崩れはあらゆる都市開発の要因が複合しているが、ホテル建設を許可したことがそもそもの始まり。城山の地山をぜい弱にした」と語る。

ホテルの敷地(約3ヘクタール)のほとんどはかつて保安林に指定されていた。ところが、昭和35年から37年までに、山林を買収したホテル側が保安林解除を申請。異議もなかったため聴聞会も開かれず認められた。

ホテル側の言い分も取り上げている。
「うちはホテルをつくるために山を削って平たんにした。防災には十分配慮して雨水はガケ下にいかぬよう大型の排水溝を完備している。元の山のままだったらもっと被害が出たのでは」

私の小説はガケ崩れがメーンのプロットだが、もちろんホテル原因説は採っていない。
そんな安直に言えることではない。

ところで、城山観光ホテルはその後、過大な不動産投資の結果、2005年3月期の負債総額が約640億円に達し、事実上の破産状態となった。08年3 月に私的整理が終わった後、野村證券グループの役員だった伊牟田均氏を運営会社城山観光の社長に招いて業績を回復し、再生したのだった。

今回の帰郷で同級生と話をしていて分かった。私はその頃、退職のドタバタの最中だったため、記憶になかった。
[K agoshima]
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