世に絶対的な自由などない
2023-06-24


20日付の産経新聞に、日本維新の会と国民民主党と「有志の会」が19日、改憲に向けた条文案をまとめたとある。

その中で、「行き過ぎた人権制限を防ぐため、幸福追求権を定めた憲法13条に、憲法が保障する自由・権利を『絶対に侵してはならない』との条文を加える案なども示した」という!!

今の日本のどこに「行き過ぎた人権制限」があるというのか。

むしろ人権団体のやりたい放題ではないか?

先般、稀代の悪法、LGBT法案が成立し、社会の破壊や混乱が懸念されているときに、憲法の唯一の歯止めである「公共の福祉に反しない限り」を抹消し、活動家の自由を「絶対に侵してはならない」と保障するとは、何たる不見識か!!

少々長くなるが、日本人が無邪気に信じている、フランス革命に端を発する「自由」がいかに恐ろしいものかを書きたい。

東京帝国大学助教授、36歳の平泉澄は昭和5年(1930)3月24日、横浜港から香取丸に乗って旅立った。

インド洋、紅海を経て、マルセイユに上陸したのが5月4日。
5カ月にわたってドイツの5つの大学を回ったあと、10月にフランスに入った。フランス革命の本質を究明するためである。

「幕末より既に我国に影響を与へ、明治に入つては西園寺公望、中江兆民等、フランス革命危激の思想を伝へて之を鼓吹するや、その暗雲低迷して時に迅雷人を驚かし、そして大正六年ロシア革命以後に於いては、その勢力倍化し数十倍化して、青年学徒の間に蔓延して行つたのでありますから、明治・大正・昭和に関する限り、フランス革命及びロシア革命を除外して、国史を考へる事は出来ないのであります」(『悲劇縦走』)

しかも「大抵は革命の徒のいふがままに、革命は王侯貴族の奢侈横暴、苛酷なる政治に堪へ切れずして起されたもの、その目標とし理想とする所は、自由、平等、博愛の三つであり、それは一七八九年以来掲げられて、運動の前途を照らす目標となつて来たのである、と説かれてゐるのであります」

平泉はこの説に深い疑いを抱いた。
革命当時の遺品、文書、記録だけに徹して史料を探し回った。7つの図書館、博物館のほか、古本屋や骨董屋でも史料を買い求めた。

そうして次の断案(結論)を下した。

@1789年に革命の標語になったのは、リベルテ(自由)だけだった。
A1792年にエガリテ(平等)が加わった。
Bフラテルニテ(博愛)は散見するものの、自由・平等・博愛と、三つが肩を並べるのは1848年である。

平泉は自分の断案を3人の教授にぶつけた。はじめの2人は、3つとも革命当初からのものだと言って否定した。
3人目の教授は平泉の説をあっさりと認めた上で、1848年の二月革命時にラマルティーヌ(詩人で政治家)が博愛を加えたのだと断言した。平泉は自分の結論に自信を得た。

これが何を意味するか。

もしフランス革命が当初から自由・平等・博愛を理想として掲げていれば、あの忌まわしい弑逆、戦慄すべき殺戮は行われずに済んだと平泉は言う。
しかし、彼らは国王ルイ十六世、王妃マリー・アントワネットを殺し、恐怖時代といわれる1793年から翌年にかけて一万を超える人々を殺したのである。
フランス革命の歴史には修飾や欺瞞があり、それがそのままわが国に輸入されて革命の宣伝や鼓吹に用いられていることがはっきりした。

平泉はさらに作家のポール・ブールジェに接触を図る。
高齢と避暑を理由に断られるものの、代わりに読むべき良書――バルザック、ルブレー、テーヌ――を指示された。

この結果、平泉は「無限の教訓」を得た。


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