禺画像]
西ノ城古墳は出土物が少なく、年代特定を困難にしている。
〓製鏡(〓とは真似ること。真似て作った鏡)のかけら。
2号主体部(木棺)、3号主体部(石棺)それぞれからガラス玉1個。
あとは土器片である。
それにしても「鏡が出た」というと、必ず「大陸から来たんですか」と質問する人がいるが、日本人(弥生人)は青銅器が伝わるとすぐに自分たちで作り始め、より優れたものにしている(例えば平原遺跡=2世紀=の直径46・5cm、世界最大の内行花文鏡)。
まあ無理もない、学者たちが何でも技術は半島や大陸から来たで済ませているのだから。
古代史にも自虐史観は根強い。
ちなみに現場の職員は、「あ、でも、こちらで作ったものだと思います。近くの大刀洗で鋳型が出てますし」と優しく答えていた。
聞いた男性は「じゃあ、どっちか分からないということね」と、大陸に固執していたが…
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