加治木に2万6780人が引き揚げた
2022-08-10


灯台下暗し。

九州への引き揚げは博多港と佐世保港と思っていた。

ケタは違うが、鹿児島への引き揚げもあったのだ。
空襲で破壊し尽くされた鹿児島市ではなく、湾奥の加治木だったという。

寡聞にして知らなかったが、碑も立っている。
いつか訪れねばならないが、ネットから碑文を引用させてもらう。


加治木は一九四五年十月二十九日より同年十二月八日までの間 敗戦に伴うアジア・太平洋各地からの軍人・軍属及び一般邦人の引揚地であった。
翌年六月の一部上陸者を含めて 加治木に二万六千七百八十人が上陸した。その場所は此処より西南方約一・五キロメートルにある三の水門近くで 二度の台風で決壊していた錦江湾岸の堤防上であった
戦後五十年に際し 上陸後 南九州病院や錦江小学校等の収容所で死去した三百有余の悲運の人々のために 吉祥寺墓地に慰霊碑を建立し 慰霊祭を挙行するため加治木町民に浄財の御寄付を願った処 沖縄県御遺族からの分も合わせて その総額は二百万円を超えた
上陸地点その他の適地を検討したが 時間的経過も考慮し 此処に記念碑を建立し 加治木が引揚船入港の地であった歴史を永く後世に伝えるとともに 引揚の悲劇を二度と繰り返さないことを決意し アジア・太平洋をはじめとして 世界の諸民族との友好互恵共存の実現を強く訴えるものである

一九九八年十月二十九日 第一船入港の日に 加治木港引揚死没者慰霊祭実行委員会
[H istory]
[K agoshima]
[W ar]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット