本屋の衰退は「いかにも」だから?
2020-03-31


本屋を研究中。

辻山良雄さんの「本屋、はじめました 増補版」 (ちくま文庫) を読んだ。

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辻山さんは本屋を始めるにあたって、どこでも同じような本が並ぶ「金太郎飴書店」も嫌だが、いわゆる「セレクト書店」にも抵抗があったという。

自分も客として、さまざまな「セレクト書店」に足を運びましたが、特に最近ではその品ぞろえが似てくる傾向にあり、新しい店なのだけれど既視感が強い店が増えてきたようにも思います。

それらは最初はみな新しい価値観として並べられたものばかりですが、いつの間にかアイコン化してしまい「それを置いておけば、セレクトしているように見える」本になってしまっているような気がします。本屋に限らず、店にいく楽しみの一つに、知らなかったものや価値観との出合いがあると思いますが、いつの間にか皆がいいというものに倣うということが起こってしまうようです。


全くその通りだが、いざ辻山さんがつくった書店「Title」のその後を見ると、やっぱり「セレクト書店」に見えてしまう。
(たとえば、セレクト書店のアイコン≠フ一つとして松浦弥太郎を挙げているが、結局、開店後、松浦弥太郎をたくさん売り上げている)
「おしゃれな、こだわりの店」の同調圧力はすごい。

しかし、これを読者は客は本当に求めているのだろうか。
皆が本屋に行かなくなったのは、既視感が強い店のせいではないだろうか。
はっきり言えば、「ポリコレ」や「フェミニズム」が底流に流れている。
一定の需要はあるのだろうが、良識ある国民は行かないよね。
[B ook]

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