禺画像]
鹿児島に帰ったら、勝手に南日本新聞を紙面審査する会をやりたいな。うん。
もちろん、南日本新聞を愛するがゆえに厳しい目で批判したいのだ。
南日本新聞は、西郷隆盛の教えを受けた、実にカッコイイ、男らしい男がつくった新聞なのだ。
野村忍介は、西郷どんが日本最後の内戦を始めた際、中堅幹部だった。
現実的な戦略論を持ち、全軍がわざわざ巨城の立ちはだかる陸路を取ることに一人敢然と反対した。
案は容れられなかったが忍介は腐らずに奮戦し、薩軍の中で最も遠い豊後まで進み、本隊が敗れると最前線で三か月も持ちこたえてその敗走を助けた。
しんがりを務めた忍介は満身創痍になりながら最後の玉砕の地となる故郷の城山まで辿り着く。
政府軍の最後の総攻撃時には、重体で身動きできずにいたため捕虜になって、たまたま生き延びた。
士族の身分剥奪と懲役十年の判決を受けて東京の市ヶ谷監獄に放り込まれていたが、特赦によって郷里に戻り、1881年末、鹿児島で初めての新聞を創刊したのである。
そんな素晴らしい歴史を持つ新聞社が今はどうだ……。
不可解な社屋移転をし、大好きな新聞社を愛せなくなった私は社を去った。
ま、私のことはいいが、問題はその論調である。
昔から朝日新聞をお手本にし、共同通信から配信を受けている以上、それら左寄りの論調にどっぷり浸かってきた。
「権力の監視」ならいい。
朝日が慰安婦報道など反日に舵を切ると、それまで無批判に受け入れた。
鹿児島一区で立憲民主党が当選したのは、同紙しか読まない市民が洗脳されているせいが大きい。
二度とないように監視・啓蒙しなければならない。
南日本新聞は部数が減り続けているとはいえ、まだ30万部という大部数と高い購読率を誇っている。
しかし、それは決して論調が支持されているわけではない。
「南」を読まないと地元ニュースが分からない、他人の話についていけない、から読まれているだけなのだ。驕ってはならない。
論調がおかしいと感じる人は増えている。
今、日本のマスコミは偏向報道で危機に瀕している。
南日本新聞も一緒に沈まないよう救わなければならない。
セコメントをする